February 13, 2009
Vアメリカの頃 その1

::ホームパーティに遊びに来たクリストファー・ウォーケンと。
中央は小峰くん。
東映Vアメリカをプロデュースしていた時代の話を何回かに分けて書こうと思う。
92年にアメリカ法人オズラ・ピクチャーズを設立し、最初にプロデュースした映画は、HPラヴクラフト原作の『ネクロノミカン』。後にオズラを一緒にやることになる小峰昭弘くんとLAで出会い、彼の紹介で会った『ZOMBIO 死霊のしたたり』のプロデューサー、ブライアン・ユズナから持ち込まれた企画だった。アメリカ初の映画がホラーだったのは、今考えると運命的だが、ビデオセールスが前提の当時の低予算映画には、ホラーとアクションくらいしかマーケットがなかったのだ。
『ネクロノミカン』は3話オムニバスの企画で、ブライアンが1話を撮ることが決まっていたので、僕は『就職戦線異状なし』を一緒にやったばかりの金子修介監督に1話を撮ってもらうことにした。そして、ひょんなことから、残りの1話をフランスの新人監督に撮らせることになった。その話は次回に。



