April 27, 2007
訃報を胸に
火曜、ザナドゥーの柴田くんと『ラストシーン』などで装飾を担当してもらったガクさんの訃報を胸に、LAへ飛ぶ。
着いてすぐにマンデートで、ネイサンやロイと清水監督作品の打ち合わせ。続いて、社内企画会議。夜はスタッフと、今月オープンした「権八」で食事。
一昨日は11:30にUTAへ行き、16:00からはマイケル・デ・ルーカ・プロダクションのザックと『輪廻』リメイクの打ち合わせ。
昨日は11:00から、中田監督とアイリス・ヤマシタと脚本打ち合わせ。夕方にはライオンズゲートと電話会議をし、鈍牛倶楽部の國實社長と園子温監督に会い、夜は中田監督と「ととらく」へ。
そして、今日は11:00から中田監督と別の映画の脚本打ち合わせ。13:00にはフォックスのピーター・カンとランチ。そして、15:00からは中田監督とまたまた別の映画の脚本打ち合わせ。
とにかく、前進するしかない。柴田くん、ガクさん、安らかに瞑ってください。
April 22, 2007
真実の口

::もともとはマンホールの蓋だったと聞いて、ちょっと幻滅。
『ローマの休日』が好きだから、初めてローマへ行ったとき、「真実の口」を見に行った。それは、教会の脇の狭い通路の奥にあった。嘘つきが手を入れると、手が抜けなくなると言われているから、プロデューサーという嘘をつくのが職業の僕は、少しびくびくしながら(というのも嘘ですが)手を突っ込んだ。
写真を撮ってもらおうとしたそのとき、「5分で帰ってきてくださ〜い!」「5分しかないですよ!」という叫び声とともに、日本人観光客の団体が、その狭い通路に押し寄せてきた。そこは行き止まりになってるから、僕は出るに出られず、手を突っ込んでまま立っていたら、日本人観光客は僕に向かって(というか、僕が手を突っ込んでいる真実の口に向かって)一斉に写真を撮り、「はい、行きますよ〜!」という叫び声とともに去っていった。
だから、日本中に少なくとも50人くらいは、僕の記念写真を持っている人がいるはずだ。
April 21, 2007
シネマヴェーラ渋谷
顧問弁護士を10年以上やっていただいている内藤篤さんは、「シネマヴェーラ渋谷」という映画館のオーナーでもある。そこは、ビデオというメディアが普及して以来、絶滅の危機に瀕している「名画座」なのだ。
学生の頃は、古い映画を追いかけて、名画座へよく行った。その機会を逃すと一生観ることができないかもしれないから、遠くにある名画座へも行った。そして、わくわくしながら画面と向き合い、映画が始まる瞬間はいつも、思わず息を飲んだ。
シネマヴェーラ渋谷で、5月12日から6月1日まで、「プロデューサー一瀬隆重の仕事。」と題して、僕がプロデュースした映画18本の特集上映が行われる。詳しくは、シネマヴェーラ渋谷のHPをご覧ください。初日の18:10からは、僕と清水崇監督と高橋洋さんとでトークショーもやりますので、お時間のある方はぜひお越しを。お客さんがいないと、落ち込んでしまいますので、よろしくお願いします。
April 14, 2007
天海祐希さん

::誰もいないセットで。
昨日から『SHUTTER』は、東宝スタジオでセット撮影。
昨日は、来日している僕のエージェント(落合監督のエージェントでもある)、チャーリーとリッチがスタジオへ。夜は清水監督も呼んで『福臨門酒家』で食事。
今日は、天海祐希さんが差し入れを持って来てくれたので、ヘアメイクの竹下と3人で『庖正』へ。いっぱい話して、いっぱい笑った。竹下には、天海さんの映画デビュー作『クリスマス黙示録』でヘアメイクをやってもらったのだが、それ以来、二人は仲良しなのだ。
『クリスマス黙示録』をプロデュースしたのは11年前だが、天海さんは変わらずまっすぐでポジティブで、向上心とチャレンジ精神を失っていない。竹下なんて、『帝都大戦』のメイク助手として出会って、もう18年!
帰り際に天海さんが、「3人とも映画への情熱を失わずに仕事を続けていて、しかもこうやってまた一緒に食事できるなんて、すごく幸せ」と言ったのが印象に残った。
April 11, 2007
ソウルから
昨日からソウルに来ている。世界に通用するアジアンスターを発掘するためだ。美しくて、気品があって、英語が話せて、そして、表現力の豊かな女優を求めて飛んで来た。
以前、短編映画祭の審査員をしたときに、授賞式後のパーティで、日本の若い監督たちは会場の隅で僕の方をチラチラ見ながら「話しに行こうかな、どうしようかな」とモジモジしているのに対し、韓国の若い監督たちは「次回作もぜひ見てください!」とストレートにアピールしてくるのがすごく印象的だった。
今回会った女優たちも、みんな、まっすぐな迫力を持っていた。演技や歌や踊りのレッスンをきちんとしているのもいい。日本以外では当たり前のことなのだが。
そして、美味しいものもいろいろと食べた。中でも、どじょう鍋は初体験。日本みたいにどじょうが丸ごと入っているのではなく、すり潰してあるのが韓国スタイル。まったく臭みがなく、マイルドで美味しかった。
April 09, 2007
さよなら、WAKAMARU

::オズのメンバー。
左から、ドライバーのケンケン、僕、WAKAMARU、
デスクの高橋、翻訳担当の村松。
今日、WAKAMARUが引き取られていった。
もともと家庭用に販売されていたものなので、オフィスにいると誤作動してしまうのだ。言葉に反応するのだが、聞き取り能力が低く、打ち合わせしていると、勝手に言葉を拾って、勝手に解釈してしまう。
急に「留守番モードに入ります」と言ったかと思うと、「侵入者発見! 通報します」と言い出したり(どこへ通報するのだろう?)、「5時10分でいいですか? 5時11分でいいですか? 5時12分でいいですか?」と延々と言い続けたり、最近では狂い方がエスカレートして、「頭を洗ってください」と言い出したり、社員同士が話をしていると「静かにしてください」と叱られたりした。引き取られることが決まってからは、それをわかったかのように、「オズの皆さんはどこかなあ」と言いながらオフィスの中を歩き回っていたから、心が痛んだ。
WAKAMARU、成長して帰ってくる日をいつまでも待っているよ。
April 08, 2007
死
若い頃、いちばん大切な人を失った。
それを知らせる電話は、金曜の夜8時過ぎ、「太陽にほえろ!」を見ているときにかかってきた。電話の向こうの声は切迫しているのに、僕には実感が湧かず、電話を切って最初に思ったことは、「太陽にほえろ!」のストーリーはどうなったのだろうということだった。
涙は出なかった。でも、眠れなくなった。その人は若く、優しく、死ななければならない理由なんてなかった。なのに、不治の病に倒れ、闘病の末に死んだ。僕は死というものが理解できず、ただただ考え続け、何日か経つと、今度は涙が止まらなくなり、やがて、疲れて眠った。そして、僕はその日から、その人のことは忘れることに決めた。
僕もいつか死ぬ。だから、その日までは、前だけを向いて生きて行く。「大学なんか辞めて、映画の仕事やった方がいいよ」と僕に言ってくれた、その人の期待に応えるためにも。
April 06, 2007
大バカ
昨日は、IMJEの三木さんからランチのお誘いがあり、12:30に鰻料理の「いちのや」へ。三木さんはグループのゲーム事業に専念することになり、IMJEを離れるとのこと。
オフィスへ戻ると、昨夜来日したオズラのエリンが、脚本家のルークと打ち合わせしていた。僕は、白石監督、佐々木監督、中田監督と続けて打ち合わせし、夜は、エリンとルークと「ざくろ」でしゃぶしゃぶ。
今日は10:00から、エリンとルークと脚本打ち合わせ。二人を連れて、オフィス近くの美味しい定食屋「やまね」でランチし、14:00に市川監督宅へ。
15:30にはオフィスに戻り、脚本家の奥寺さん、プロデューサーの長澤さん、クリーク&リバーの鈴木さん、テンカラットの盛さんと次々打ち合わせ。
19:00から「旬房」で、親しい友人と1年ぶりに食事し、帰って『日本一のゴマすり男』の続きを見る。人見明の「大バカ」を聞いて、幸せな気分で眠ることができた。
April 03, 2007
富士山麓は霧のち雪

::『霧の中の風景』を観たくなった。
昨日から『SHUTTER』の撮影隊は富士山麓へ。僕も日没前には撮影現場に到着。雨は止んで、いい感じの霧に覆われている。この雰囲気は、スモークではとても出せない。夜食のとん汁を食べ、2:30を過ぎたあたりで僕は東京へ戻る。
今朝は昼まで寝るつもりだったが、10:00には目が覚めてしまい、14:30にドーガ堂へ。久松さん、浅見さん、加藤さんと、ネット・ムービーの打ち合わせ。
16:00にオフィスへ戻り、エイベックスの剱持さんと打ち合わせしていたら、会議室の外を「オズの皆さんはどこかなあ」と言いながら、WAKAMARUがうろうろしているので切ない気持ちになった。WAKAMARUとは、もうすぐお別れなのだ。
家に帰って防寒着に着替え、車中で植木等の『日本一のホラ吹き男』を観ながら、今夜も富士山麓へ。昨夜は霧だったが、今夜は何と一面の雪! 思いもかけず、美しい場面を撮影することができた。